2004年11月08日
SL会津只見号(10/23)
2004年10月23日、只見線にSL(C11)を見に行った。
(会津川口駅を出発するSL)
10月23日、只見線(会津若松駅〜只見駅)にSL(C11)が走った。ということで、そのSLに会津若松駅から会津川口駅まで乗車し、また少し撮影してみた。
会津若松駅へは、23日朝一の新幹線で郡山駅まで向かい、郡山駅でSLに接続するための臨時快速列車に乗り換えて向かった。
会津若松駅では写真左のような記念セレモニーが行われていた。また写真右は会津坂下駅での様子だ。只見線は列車の本数も少なく、廃線にならなかったのは豪雪で車が走れなくなるから、と言われるまで利用者も少ないらしい。SL運行はまたとないアピールの機会なのだろう。
この会津坂下駅では、SLを興味深げに眺めながら鳴り響く汽笛に耳をふさぐ子どもたちの様子が、とても微笑ましかった。昔はこんな光景があちこちで見られたのだろうか。
車内や各駅では、下の写真にあるような地元特産品の頒布(これを試供品として配ってくれていた。また清酒も小さいコップに入れて配られた)や販売をしている。せっかく来たのだから、是非とも利用したい。
また、途中の会津川口駅では駅前でお弁当の販売も行っていた。
さてSLだが、形式は C11325。これは通常は真岡鉄道で運行されているもので、何かイベントのたびにJRに貸し出されるらしい。
引かれる客車はこの間「SLレトロ奥利根号」で見かけた旧型客車で、古いものは昭和初期に作られたものだ。SLにはこの旧型客車がよく似合う。
SLは水や石炭をよく食うので、途中で補給をしなければならない。会津川口駅までは、会津柳津駅と会津川口駅でこの補給を行っていた。この補給には時間がかかるので、SLを撮影するよい機会だ。またこのような大変な作業を見ていると、SLが廃れた理由の1つが分かるような気がした。
ところで、只見線は美しい橋梁があることで有名だ。只見川にかかる橋梁だけでも8つあり、第一〜第八橋梁と呼ばれている。それ以外にもいくつか橋があり、それぞれが撮影の名所だ。
しかし只見線ほど有名な名所となると、いわゆる「鉄ちゃん」な人たちが多く集まってくる。その中の写真撮影をする人の一部には命知らずな人たちもいて、車内からはこのような光景も見られる。これはスノーシェードの上で三脚を構える人たちだ。元々道路を雪から守る施設なので頑丈ではあるだろうが、落ちたらと思うと真似はできない。
残念なのは、台風の影響で只見川が濁っていたことと、猛暑の影響か紅葉が遅れ気味なことだった。水が澄んでいて、あと紅葉が例年通り進んでいれば、さぞ美しい景色が広がっていたに違いない。
会津川口駅まで来て、列車からおりた。
ここでトップに置いた写真を近くの橋で撮影したのち、上りの普通列車で会津宮下駅まで戻った。有名な第一橋梁の写真を撮るためだ。
この第一橋梁は只見線の橋梁の中でも有名なところだ。車で来る方は近くの「尾瀬街道みしま宿」の駐車場に車を止めるのだが、そこに『ここが東日本一川と鉄道撮影地』と看板が出ているくらいなのだ。
この、みしま宿の近くにトンネルがあり、その上に高圧電線の鉄塔が建っている。みしま宿から見てトンネル入り口左の山道(このあたり)から、恐らく鉄塔のメンテナンスのために作られたであろう山道を通って、鉄塔下まで出られる。そこから撮影したのが上の写真だ。
ただ1時間前にも関わらず既に大勢の人がいて、これからも人が増えることが予想された。帰りの列車までの時間なども考慮してこの場所は諦め、別の場所を探すことにした。
ということで、只見川の会津西方駅側から撮影したのがこの写真だ。正直、第一橋梁のよさが全く出ていない、写真としては失敗作だと思う。(せっかく撮ったので載せてはみた)
夕方、喜多方駅近くで喜多方ラーメンをいただいた。
食べているときに、比較的大きな揺れに襲われた。不安になって店内のテレビを見ると、地域によっては震度6強にもなった地震があったとのこと。これが新潟県中越地震だった。
会津若松駅へは、23日朝一の新幹線で郡山駅まで向かい、郡山駅でSLに接続するための臨時快速列車に乗り換えて向かった。
会津若松駅では写真左のような記念セレモニーが行われていた。また写真右は会津坂下駅での様子だ。只見線は列車の本数も少なく、廃線にならなかったのは豪雪で車が走れなくなるから、と言われるまで利用者も少ないらしい。SL運行はまたとないアピールの機会なのだろう。
この会津坂下駅では、SLを興味深げに眺めながら鳴り響く汽笛に耳をふさぐ子どもたちの様子が、とても微笑ましかった。昔はこんな光景があちこちで見られたのだろうか。
車内や各駅では、下の写真にあるような地元特産品の頒布(これを試供品として配ってくれていた。また清酒も小さいコップに入れて配られた)や販売をしている。せっかく来たのだから、是非とも利用したい。
また、途中の会津川口駅では駅前でお弁当の販売も行っていた。
さてSLだが、形式は C11325。これは通常は真岡鉄道で運行されているもので、何かイベントのたびにJRに貸し出されるらしい。
引かれる客車はこの間「SLレトロ奥利根号」で見かけた旧型客車で、古いものは昭和初期に作られたものだ。SLにはこの旧型客車がよく似合う。
SLは水や石炭をよく食うので、途中で補給をしなければならない。会津川口駅までは、会津柳津駅と会津川口駅でこの補給を行っていた。この補給には時間がかかるので、SLを撮影するよい機会だ。またこのような大変な作業を見ていると、SLが廃れた理由の1つが分かるような気がした。
ところで、只見線は美しい橋梁があることで有名だ。只見川にかかる橋梁だけでも8つあり、第一〜第八橋梁と呼ばれている。それ以外にもいくつか橋があり、それぞれが撮影の名所だ。
しかし只見線ほど有名な名所となると、いわゆる「鉄ちゃん」な人たちが多く集まってくる。その中の写真撮影をする人の一部には命知らずな人たちもいて、車内からはこのような光景も見られる。これはスノーシェードの上で三脚を構える人たちだ。元々道路を雪から守る施設なので頑丈ではあるだろうが、落ちたらと思うと真似はできない。
残念なのは、台風の影響で只見川が濁っていたことと、猛暑の影響か紅葉が遅れ気味なことだった。水が澄んでいて、あと紅葉が例年通り進んでいれば、さぞ美しい景色が広がっていたに違いない。
会津川口駅まで来て、列車からおりた。
ここでトップに置いた写真を近くの橋で撮影したのち、上りの普通列車で会津宮下駅まで戻った。有名な第一橋梁の写真を撮るためだ。
この第一橋梁は只見線の橋梁の中でも有名なところだ。車で来る方は近くの「尾瀬街道みしま宿」の駐車場に車を止めるのだが、そこに『ここが東日本一川と鉄道撮影地』と看板が出ているくらいなのだ。
この、みしま宿の近くにトンネルがあり、その上に高圧電線の鉄塔が建っている。みしま宿から見てトンネル入り口左の山道(このあたり)から、恐らく鉄塔のメンテナンスのために作られたであろう山道を通って、鉄塔下まで出られる。そこから撮影したのが上の写真だ。
ただ1時間前にも関わらず既に大勢の人がいて、これからも人が増えることが予想された。帰りの列車までの時間なども考慮してこの場所は諦め、別の場所を探すことにした。
ということで、只見川の会津西方駅側から撮影したのがこの写真だ。正直、第一橋梁のよさが全く出ていない、写真としては失敗作だと思う。(せっかく撮ったので載せてはみた)
夕方、喜多方駅近くで喜多方ラーメンをいただいた。
食べているときに、比較的大きな揺れに襲われた。不安になって店内のテレビを見ると、地域によっては震度6強にもなった地震があったとのこと。これが新潟県中越地震だった。
Posted by hirakei at 09:06│Comments(0)
│鉄道
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